【30代無職】気が弱いことは損だが、誰かの支えになれるかも
私は気が弱い、無職だ。気が弱いから無職になったともいえる。
とにかく人の目、感情が気になってしまう。
私と一緒にいて楽しかったかな?この服装、時と場に合っているか?今気に障ることを言ってしまったか?この飲み会、うまく立ち回れるかな?
程度が低く、あらゆることを不必要?に不安がる。いい年して情けないおじさん像に成り果てており、反吐が出る。
気の弱さは損に直結することが多い。プライベートの交友関係、ビジネス、いずれにおいても。今考えると杞憂だったな、チャンスを逃したなと思うこと、多大にある。
行動することを躊躇しがちなのも現代社会では致命的だろう。
でも、悪い事ばかりじゃなかった。
「三つ子の魂百まで」
私は幼稚園の入園児、人一倍大泣きし、母親にしがみついて離れなかったそうだ。入園式の写真でも私だけが母親にべったりだったらしい。
私は物心ついたころから、母親にべったりしていたという記憶はないが、とにかく不安がる子供だったようだ。
残念ながらこの気質は今現在の私にもしっかり反映されていると観念した。
なんでこんなひどい事言うの?
小学生時代、今でも覚えている。友人間で遊ぶ約束をしていた際、「お前以外な」と言われた言葉。
私は、「そうか、ごめん」とだけ返したと思う。
別に特別仲が良かった友達でもなかったし、その子にいじめられていたわけでもない。
ただ、小学生ながらに、何故これほど無神経なことを言うのだろうと驚愕したことを覚えている。もう少し気が使えるのではないか、と。
私は親に大事に育てられたと思う。ゆえに外界から邪見に扱われることに慣れていない。これは今でもであるが。
また、理由はわからないが、最低限の道徳感を育み成人したと自負したい、多分。
世の中は、私にとって殺伐としすぎているように思う。
わかっている、子供の無邪気さも残酷さも仕方がない部分がある。
大人であれば、あの人がイライラしている、冷たい言葉を投げかけるのにも理由がある。必ず背景がある、相手の立場にたつとその言葉の意味が理解できるのかもしれない。
それでも、世界には優しさが、足りない。
気が小さいことが生んだ評価
私は退職にあたり、お世話になった人に挨拶周りをした。
その際に感じたのは思ってもいなかった他者からの言葉であった。
「優しい」「助けられた」「笑顔をありがとう」
うわべだけの一言、二言だったかもしれない。それでもそんな言葉を各所で頂いたのだから、ある程度信憑性はあるのだろう。
思いもしなかった人からも声をかけられ、餞別を頂いた。
私はただ、気にしていただけ。気を損ねないようにしていただけ。それだけだったと思う。でも、少なからず他者の助けになれていたのであれば心が救われた。
今、気が小さい事で苦しんでいる方がいれば言いたい。
苦しさは続くかもしれないけど、その気の小ささ、繊細さが誰かの助けになることがある。
私たちはもう少し自信をもっていいのかもしれない。
そんなことが言いたかった。
【30代無職】20代の過ごし方で後悔したこと
先日より無計画無職を達成し、絶賛無気力な私。
会社員時代の20代を振り返ってみたが、後悔の念は多数ある。
その中でも特に言いたい
「人の価値観は簡単に変わる」ということ
「一生独身でいい、別にフリーターでも生きていける…はずだった」
20代、少ないながらも友達はいる。週末はゲームなどしてそれなりに楽しんでいる。結婚や子供、老後のイメージなんて考えたこともなかった。生活も特に困ってはいない。昇進も必要ない。
そんなイメージで30代前半まで生き抜いた(苦笑)
ところが最近、モヤモヤに毎夜襲われている。
なぜ今になってなのかを明確に答えることはできないが、遊ぶことに飽きたのか、何かを成し遂げたいのか、残り時間(寿命)が少なくなったからなのか。
とにかくこれまでの価値観が一瞬にして崩壊した。
私は、それまで怪訝そうに見ていた、「結婚」「子育て」「自己投資(成長)」「上京」のようなものを渇望するようになってしまった。
これはまずい
中途半端を生きた私だから
前述のとおり価値観が一変すると、焦る。
当たり前だ、聡明な若者は、人生に何が重要であるか、どういう道を歩んでいくのか、しっかり考えたうえで日々を懸命に生き抜いていると思う。
たとえそうでなかったとしても、日々懸命に働き、昇進する、手に職をつける、なんでもいい、誇れる、自信を持てた20代なら何でもいい。
価値観が変わったとしても次のステージに進みやすいことは想像に難くない。
問題なのは、中途半端な生き様をさらした私。
結婚したい?子供?無職なのに?笑
手に職をつける?これまで昇進からも逃げたくせに?
笑えてくる。
もし私が20代の価値観を捨て、今の価値観に基づいて生きていきたいのであれば、損ねた十数年分努力が必要。
やらなかった分はどこかでかならず清算しなければいけなくなる。
20代のみなさんへ
やりたいこと(遊びも仕事も)はすべてやっときましょう。
"した方がいいな"と思ってできていないこと、1つでいいんでコツコツ続けてみましょう。
価値観なんて何がきっかけで変わるかわからない。そんな時救いになってくれるのは、過去の自分です。
今、目標や計画がなくてもいいと思います、懸命に生きた証が未来をつくります。懸命、も最初は重たいかもしれませんが、やがて習慣になります。そうなるとこっちの物。
考えなしに時間を空費した私のようにならないでください。退屈な毎日も意識ひとつで景色が変わると思います。
私もこれから何かを成す、意識で生きていきます。
貴重な時間を、どうか大切にご利用ください。
ネガティブな理由でFXを始めるとどうなるか。
金がない
手っ取り早く稼ぎたい
一発"逆転"したい
周りを見返したい
絶対相場にやり返す etc
1ミリでもネガティブな理由でFXに触れるなら
今すぐ家族とご飯でも行った方がいい。



毎日、毎月、毎年殴られ続ける。これの繰り返しで700万を捨てることになった。
自己肯定感の低さが損失に繋がった
年収が低い、仕事がうまくいかない、成長していない。
私はこんなネガティブな感情を背に20代を過ごした。
仕事で結果を出すことも早くから諦めていた。
さて何で結果を残すか。
頭も悪く、人付き合いも苦手、運動もダメ。
そうなると金の使いどころがないな、じゃあ投資か。人付き合いもないし。
こうして私はお金を増やすことに躍起になり、そこで自己肯定感を高めようとした。
しかし、トレードに常勝はない。時には負けトレード、損切り、敗因の分析も必要であったはず。
でも私はー 敗北を許せなかった。
毎日の死闘の時間が無駄になる、私はダメなやつ、取り返せないかもしれない、負の感情が次々と脳裏に浮かぶ。
トレード自体は勝てる日も多かった、月初から20日連勝を重ねたりもした。しかし、ひとたび大負けすると、その日を境にピタッと潮目が変わる。心の陰りがトレードを破壊し、20連勝分の貯金は、すべて消え去った。こんなことはザラにある。
「サービス残業に耐え、相場では金を奪われて、なぜこんな目に合わなければいけない」「あと1,000円でプラ転なのに」
私の都合は相場には関係ない。ひとたび弱みをみせると、根こそぎ命を刈り取りにくる。
衰弱した人は相場に不要なのである。
趣味がお金を守る
趣味は多ければ多いほうがいい。
私は金のかかる趣味はあまり触れてこなかった。性格的に守銭奴なところもあり、貯金はコツコツ行うタイプだった。
ゆえに
トレードの種餞は貯まりがちだった。
毎月いくら負けても、固定給という名の"チャージ"があった。
給料日のたびいくらかメンタルが復調し、戦場に向かう命知らずである。
それを繰り返すとどうなるか。結果はいうまでもない。
暇だからチャート開く
暇だから刺激が欲しい
暇だから有益(金稼ぎ)なことがしたい
こんな理由でFXに触れるべきではなかった。
業者にお金配りするなら、せめて我がために散財したかった。
後の祭りである。
他責思考なら相場から降りろ
ドル円が憎い、業者が憎い、FXが憎い、なぜ私がこんな目に。
間違っている
憎いのは私自身の愚かな心、自業自得。もし、他責思考が残り、相場に憎悪が残るなら、やはりFXには触れてはいけない。すべて自分との闘いのはずである。
他責している時点で勝ち目はない。
わかっていながらも私は自分の気持ちを改めることはできなかった。
賢者の皆様には私の愚かさを教訓に、同じ道を歩まぬことを願う。
30代 正社員を捨て、広野を行く
30代。無資格、無スキル。
よし、会社辞めよう。
今、私の頭の中では
ドラゴンクエスト1のフィールドBGM「広野を行く」がループしている。
作曲者のすぎやま氏は’1人で旅立つ勇者の期待と不安’をイメージして作曲したそう。
私自身は勇者などと大それた者ではなく、村人C的な立場であるが、新しい世界に旅立ちたい衝動に駆られていた。
思い返せば10代は親の庇護下、20代は会社の敷いたレール上に横たわっていた。
レールの上を歩むのではない、”横たわっていた”。
もちろん仕事は何度もやめたいと思う時期があった。しかし、正社員は捨てられない、目指すものもない、通勤時間が短い、など冒険を妨げる理由が無限に降りかかった。
それでも、会社を辞め、新しい世界に飛び出したいという衝動が爆発し今回の決断に至った。なぜ今になってこの決断を下せたか。主な理由を記したい。
過ぎ去りし時の恐怖
社会に出てからの5年、10年本当に早かった。私の場合は、昇進やステップアップの機会もないまま、変わらない風景、新人と横並びのステージを周回していたように思う。
しかし周囲はそうではない。家族、友人、同僚。良くも悪くも確実に変化は起こっている。変わらないのは私の精神年齢だけ。闘病した祖母、昇進した同僚、各々の変化を感じるたびに、時の秒針が私の心を切り刻む。
特に30代ともなると、一般的に高齢者といえる70代、80代への折り返し地点が見えた。
この間まで友人宅に集まってゲームしていたのに...当時の部屋の熱気、まだ感じられるくらいには幼い私。
何歳であろうと時に人生を俯瞰し、残された命の時間と向き合う必要があると強く感じている。今この瞬間も新しい一歩を躊躇している暇はない。
資産額=安心ではなかった
退職には資産が必要。こんな貯金じゃ会社やめられない。稼がなきゃ。
20代から資産額にこだわっていた。
幸せな生活を実現するには資産額を増やすしかない、いつ会社を辞めても不安ではない額を貯めると躍起になっていた。
30代にして手取りは20万にも満たなかったが、倹約家、悪く言えば無色の生活を送っており、自由に使えるお金は百万円程度なら捻出できる状態だった。
個別株、積み立て投資、FX、仮想通貨、ポイ活、あらゆるものに手を出した。
しかし、資産額にこだわる姿勢は大きな失敗を招いた。資産額に一喜一憂し、マイナスを食らうと自分が否定されたと感じた。精神的にきつい投資になるのもわかっていながら無茶なトレードを続けた。最終的にはFX依存のような状態になり数百万円を失った。
社会で大した成果を上げられなかった私だ。投資の世界でも手痛い失敗を何度も犯すこととなった。
しかし、資産を大幅に失ってようやく気づいたことがある。
資産額に囚われると一生不安はぬぐえない。〇〇円貯まったなら、次は○○〇、○○は絶対切りたくない、といった邪念に掬われる。
幸福は資産額の外にある。私にとってはパートナーや友人との時間がこれであった。
私はこれに気づくのに10年以上費やした。
もちろん幸福の定義は個々人によるところ。真剣に自分の心と対話する時間が必要と思う。いや、対話するまでもない、これって幸せだよなと、無心で感じることを大事にしたい。
景色を変えたければ外にでるしかなかった
クラス替え、運動会、部活、進学、就職・・・
10代は素晴らしい。受動的な人間ですらステージを変えざるを得ない。
激動の瞬間を誰もが味わう。
大人になると待ちの姿勢で人生に化学反応は絶対におこらない。あるのは老化現象の一点のみ。
誰もあなたの人生を変えてくれたりはしない。ここは日本、生き方は自分で決めるしかない。誰かに決められるものでもない。
賢者は10代、20代にして気づいていると思う。
愚者な私は30代になってようやく実感し始めている。
私は会社員生活への疑問はもう5年以上抱えていた。
いつまで同じことを繰り返すのか。
答えは決まっている。私は初めて自分の意志で、外の世界を見てみたい。
これに尽きる思いだった。
資産家でもない、特別なスキルがあるわけでもない、装備不十分な30代。
それでも、新たな風景を眺めたい、揺れる心を感じたい。童心に帰れる最後のチャンスをつかむ思いで、広野を行く。